8年目の11月22日

1122青銅

8年目はブロンズかぁ。結婚8年目は青銅婚式。今年もポストにこの手書きのハガキが届きました。結婚式を挙げた牧師さんが毎年結婚記念日に送ってくださるハガキです。
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「人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ。愛は唯一理性的な行為なんだ」(ミッチ・アルボム「モリー先生との火曜日」より) 愛を出しあい、受け入れあって。幸せな家庭にしていって下さい。神様の平安をお祈りします。

結婚記念日(青銅婚式・8年)おめでとうございます。  
2013年11月22日
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ムツゴロウさんにちょっと似た、もうかなりのご高齢の牧師さん。あの方がこうして式を挙げた夫婦に一枚一枚色鉛筆で色を塗り、手書きの宛名を書き、投函してくださる。こうした手書きのハガキには、書く人が送る人を想う時間が凝縮されている。その凝縮された『時間』が郵便受けに届く。だから感動するんだな。たった一枚の紙切れが遠くから運ばれてくる。一瞬で飛んでくるメールとは、やっぱり違うんだな。(デジタルでもこの「想い」を送れないだろうか・・・)

結婚記念日を忘れないようにするために、語呂のいいこの日にしたのですが、世間的にも商業的にも「いい夫婦の日」と騒がれるようになってきました。こどもや自分たちの誕生日をお祝いするように、『夫婦』の誕生日でもある結婚記念日は大事にしたほうがエエですね。11月22日、今日は外食でもしましょうか。(一回目の結婚の時にはそういうことまで思う気持ちが足りなかったんだろうなぁ・・・と、しみじみ)

追伸:7年目は銅婚式でした。「銅」と「青銅」はどう違うの?と思って軽く調べたら、「青銅」は「銅」に「錫」を混ぜたものだそうです。「銅」より強いのかな、たぶん。錆びないようにしなくちゃね。

22才の先生

テックアカデミー

テックアカデミーという社会人のためのITスクールに行ってきました。「初めてのWordPress講座」19:00〜22:00の3時間を二日間。昨年WordPressでブログを始めて、もっとこれを活用したいと思い、本で勉強しようと立ち読みはしたのですが、分厚くてむずかしそう。ここは例の「自分への投資」ということで、スクールに申し込んでみました。

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講師は慶応義塾大学環境情報学部在席の鶴田浩之さん。すでにLabit.incという会社のfounderで取締役。大学生向けのソーシャルアプリ「すごい時間割」など、各種Webサービス・スマートフォンアプリの企画・開発を手掛ける22才。

す ごいヤツはもう、就職活動なんかしないんじゃないだろうか・・・優秀な脳ミソは自分でどんどん起業する・・・となると、企業は優秀な学生が獲れない・・・ 深刻な人材不足・・・。そういう時代になるんじゃないか、と根拠なく想像してしまいました。くっそー、この時代に大学生だったら楽しかっただろうになぁ、 と思う反面、それはそれでタイヘンだろうし、俺たちの学生時代も今ほどの「便利」はなくてもその時代の「豊か」はあったゼ、とも言いたい。負け惜しみに聞 こえるかもしれないけど。天才的な学生の脳ミソにはついていけなくても、脳ミソの柔軟性だけは失わないようにするゼ、と22才の先生に教わりながら56才は思いました。

というわけで、いま「WordPress」を勉強し直しているので、「分厚い手帳」の仕様もしばらく試行錯誤しますが、よろしくお願いいたします。

西村さんを追いかけて

西村さんからの年賀状西村佳也さんからの年賀状より

初めて西村佳也さんの名前を見つけたのは、磯子図書館のコピー年鑑だった。コピーライターになりたくて勉強していた大学生の頃、図書館に一冊だけ1975年のコピー年鑑があった。そこでウールマークの広告を見て西村さんの名前を知った。「さくさくさく、ぱちん。」国際羊毛事務局の仕事だった。そのクレジットには「AD:中島祥文 C:西村佳也  制作:JWトンプソン」と書いてあった。だから、J.W.トンプソンの入社試験を受けた。

苦しい就職活動の末、見事トンプソンに就職が決まった。入社して間もなく、西村さんに早く会いたくて、先輩に訪ねた。
「コピーライターの西村佳也さんは何ルームにいらっしゃるんですか?」
するとその先輩は
「西村さんは、フリーだよ。トンプソンにはいないよ」
いない?え?フリーって何ですか?コピー年鑑のクレジットに名前があって、最後に会社名J.W.トンプソンとあったから、てっきりみんなトンプソンの人だと思っていた・・・。

結局トンプソンは1年ちょっとで退社することになる。転局試験を受けるべく準備(作戦A・作戦B)していたが、サン・アドのコピーライター募集に運良く受かったから。サン・アドの一員になれるということは、OBの方々とも近づいたことになる。西村佳也さんもサン・アドのOBだ。いつか会えるかもしれない。しかし、なかなか会えなかった。

電通に移籍して、30代後半の頃。代官山の今は亡き「MORGANS」というBARによく行くようになる。そこのママ、多映子さんにコピーライターの名刺を渡すと
「西村さんも時々いらっしゃるわよ」と。
「西村さんって、まさかあの西村佳也さんですか!」

ある夜、ついに西村佳也さんにお会いすることができた。

自己紹介すると、
「知ってるよ、仲畑のとこの中村禎だろ」
と笑いながら頭をはたかれた。うれしかった。サンアドのOBです、ということと、西村さんを追いかけてトンプソンに行ったのにいなかったじゃないですかという話を、やっと伝えることができた。

以来西村さんとは中目黒の「わかな」でもお会いすることもあったりして、仲良くさせていただいている。KDDIの仕事でグランプリを獲ったときもMORGANSで
「良かったなぁ。中村、良かったなぁ」
とニコニコしながら何回も頭をはたかれた。うれしかった。

その西村佳也さんが東京コピーライターズクラブのホール・オブ・フェーム、コピーライターの殿堂入りされた。授賞式で久しぶりにお会いできて、
「おぅ!」
と声をかけていただいて、これまたうれしかった。

56年見てきた右手

10.3手56年見てきた右手

去年の10月3日誕生日からこのブログを始めて、丸1年。
毎日は書けなかったけど、なんとか1年続けることができました。
読んでくださる人がいる、と思うことで、くじけずに続けてこれました。
本当にありがとうございます。
ちょうど1年前の記念すべき第1話はこちらでした。
55分経過
そして、記念すべき1周年「56分経過」です。
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ボクはマラソンやらないんですが、『ランナーズハイ』ってのがあるっていいますよね。何十キロも走って疲れのピークなんだけど、そこを越えて、ふわっとラクになって軽くなって、もっとどんどん走れるようになる、というアレ。

フットサルやってても、やればやるほど疲れるんだけど、ある時間帯から急に楽しくなって元気が戻る瞬間がある。(それが全然無いときもあるけど)体は疲れているんだけど、ゴールが決まるとまた新たなパワーがみなぎってくる、あのカンジ。

年齢にもそれが、あるんじゃないかと思ったんです。『ネンレーズハイ』

ボクなんかより全然年上の先輩がメチャメチャ元気だったり、ステキだったりする。そういう『カッコイイ G3(ジーサン)』目指して生きて行きます。56才というともう、けっこうな歳なんだけど、年下からも年上からも学ぶべきことはすべて学ぼうと思っています。常に姿勢正しく、やや前傾姿勢で。2013年10月3日。56才になりました。

ピンクリボン授賞式

グランプリ_山中里紗さんグランプリ 山中里沙さんの作品

第9回ピンクリボンデザイン大賞の授賞式。今年で9年目かぁ。審査委員長眞木準さんの後を継いで、僭越ながらボクが審査委員長を務めさせていただいています。授賞式で今年のグランプリの人に盾を渡す役目です。渋谷ヒカリエのイベントホール、最前列に座って会場係の人から綿密な指示を受けます。ボクの隣りでグランプリ受賞者の大阪から来た19才の女子大学生が緊張しています。「大丈夫だよ、すぐそこじゃん。行って賞金もらって帰って来るだけだよ」とか「賞金どうするの? ヒカリエで全部使って帰ればいいじゃん」とか。受賞の挨拶どうしようと言うから「言葉に詰まってもいいんだよ、そのほうがホントにうれしそうに見えるから」と言ってみたり。バカ話をして緊張をほぐそうと彼女に話しかけました。効果があったかは定かではありませんが。

壇上でボクが彼女に盾と副賞を渡し、無事、ボクもとちらずに盾の文章を読み上げ、彼女の挨拶も拍手で終わり、彼女はホッとした表情でまた一番前の席に戻りました。しかし、審査委員長のボクはまだ壇上に残ってなくちゃいけません。「講評」とかしなくちゃいけないんです。ひととおり、講評し終わったとき、ふと最前列に座っているグランプリ受賞者の彼女と目が合いました。

「これは想像なんですが、この一見なんでもないような手描きのデザインも、作者は相当考え抜いたと思うんです。例えばこの手描きのピンク色で囲んだ線や勇気という文字。きっとこれもたくさん描いてみた中から選んだのではないでしょうか」

と口走ってしまい、さらに壇上から彼女に
「どうでした?」と話を振ってしまったのです。
すると彼女は

「100個以上描いた中から選びました」

と、うれしい答えを返してくれたのです。ボクは「ほらね」と言わんばかりに(ややフンぞり返りながら)解説を続けます。「たくさん描いた中から、一番勢いのあるもの、素直なもの、わざとらしくないもの、を選んでいくのです。パパパッとつくったように見えて、実はそこには綿密な計算がある。その目に見えない努力が伝えるパワーになっているんですね」と講評を締めくくりました。ほっ。

もし「一回しか描いていません」って言われたら、どうしてたんだろう・・・汗。

キャノンデールをもう一度

Y’Sロード

「2000年頃のキャノンデールは塗装がきれいなんですよね」オーバーホールを担当してくれたY’S(ワイズ)ロード新宿店のMさんは言った。キャノンデールの代名詞でもあった『HANDMADE IN USA』が、2010年頃からアジアで生産するようになり、その表示ができなくなったらしい。塗装の方式も変ったのかもしれない。

友人から新車同然で譲り受け、いろいろ手をかけて室内保管していたけど、今の家に引越して来てからずっと外に置いていた。しかもほとんど乗らなくなり、タイヤは前後輪ぺしゃんこ、サドルも埃まみれ、あちこち錆が出始めていた。あまりにも可哀想で、ほったらかしていた自分が恥ずかしくなり、もう一度手入れをしようと決意したのだった。

Y2KモデルのキャノンデールF900。チェーン交換、ブレーキワイヤー交換、シフトワイヤー交換、グリップ交換、サイクルコンピュータ取り付け。タイヤとペダルは自分で交換していたので、セット料金じゃなく安い方でやってくれた。ありがとうございます。

「すごくきれいに乗ってらっしゃるので、これからも大事に乗ってあげてくださいね」

クルマやオートバイを、下取りなんかに出そうとすると急にエンジンの吹け上がりが良くなったように感じることがある。「まだ全然走れるぜ。捨てないでくれよだぜ」と言ってるような気がするくらい調子が良くなったように感じることがある。それと同じように、自転車も「機械」なんだから「感情」なんて無いはずなんだけど、大事に扱えばそれに応えてくれるし、雑に扱えば機嫌が悪くなるような気がする。

オーバーホール

オイルを吹いてもらった新しいチェーン。新品のブレーキワイヤー。新品のミシュランタイヤ。やや緊張しながら漕ぎ出した。なんか初心者に戻ったような変なカンジ。夕方の交通量の多い新宿青梅街道は、ちょっと緊張した。久々に2輪で走る。やっぱ2輪の風は気持ちいいわ。

斎藤さんとケヤキの木

飛良泉けやき

斎藤さんちの『飛良泉』の話、第3話。敷地内には、できあがった飛良泉を貯蔵しておくための蔵がいくつもある。そのどれもがひんやり低温に保たれている。今はコンピュータ制御で温度・湿度の管理ができるけど、室町時代はどうだったんだろう。その答えのひとつがこの欅(ケヤキ)の木。樹齢500年近いらしい。写真をもっと左から撮ればよかったんだけど、この欅の右に古い蔵がある。先代はその蔵に直射日光が当たらないようにと、この欅を植えたそうだ。

いくつもある蔵にはそれぞれ名前がつけられていた。その中で「ここは一番いいヤツを置く所なのよ」という蔵に『欅蔵』という名前がつけられていた。ケヤキといえば我が成蹊大学のシンボルツリーでもある。斎藤さんは、先代が植えてくれた欅の木と、26代目自身の母校で慣れ親しんだケヤキの名を取って『欅蔵』という名の大吟醸をつくった。

大吟醸

「荷物になって悪いけど、これ持って帰って」といただいたお土産の飛良泉。家に帰って開けてみると、なんとその飛良泉の大吟醸『欅蔵』だった。もったいなくて、しばらく飲めないなぁ。

見せたい場所がある

伏流水1スタスタ歩く斎藤さん

夕方の飛行機までの時間、飛良泉本舗26代目斎藤先輩が『見せたい場所がある』と連れて行ってくれた。鳥海山をクルマで上って、駐車場から10分ほど歩く。「最近クマが目撃されているので注意してください」という看板を横目に、散歩道のように整備された山道を登って行くと、もうすでに脇を流れる水路の水がめちゃめちゃきれい。そしてこの滝にたどり着く。

伏流水滝

『ここの水でウチの酒、作ってるのよ』と斎藤さん。この水は川などの流れが落下しているのではなく、鳥海山にしみ込んだ雨や雪解けが伏流水として、ここで地表に湧き出しているという。その日は秋田にしては蒸し暑い日だったせいか、水面からモヤが立ち上がっている。写真に撮ると曇っているみたいだけど、実際はとても幻想的であたりの空気もヒンヤリして、マイナスイオン出まくりの場所だった。この水があって、秋田の米があって、鳥海山の麓の仁賀保町で酒をつくる。なんと自然なことだろう。この土地で人が米をつくる。そしてこの山が水をつくる。山ってすごいな。

滝看板
『元滝伏流水』
『この水は川などの流れが落下しているのではなく、鳥海山にしみ込んだ雨や雪解けが伏流水として、ここで地表に湧き出しているものです。5月中旬から下旬にかけては、山つつじが見頃を迎え、いっそう鮮やかさを増し、見る人の目を楽しませます』という看板。
http://www.hiraizumi.co.jpmiz

機械製品をつくっているわけじゃないので、工場はどこでもいいわけじゃなく、この地じゃないとできないものをつくっているんだな。しかも500年も昔から。こんどから『飛良泉』を飲むときは、この滝の音と景色とヒンヤリしたあの感じを思い出しながらいただきます。

26代目『飛良泉』

旦那と飛良泉「タラシ、こっちこっち」と酒蔵を案内してくれる斎藤先輩

出張でせっかく秋田に行ったので、成蹊大学時代のテニス同好会の先輩、斎藤さんを訪ねることにした。秋田駅から列車で1時間ほど南下した仁賀保(にかほ)町。京都に銀閣寺が建立された1487年(室町時代)創業の造り酒屋『飛良泉本舗』。斎藤先輩はその26代目だ。ANAの機内誌でたまたま『飛良泉』が紹介されていて、読んで、あらためて驚いた。造り酒屋の何代目かだとは聞いていたけど、室町時代から500年も続いていたとは・・・。そんな御曹司、大社長なのにちっともエラそうな素振りすら見せない人だ。大学時代は一緒によく飲みに連れて行ってもらったし、同好会の中で流行らせるギャグを発明しながらブヒブヒ言っていた仲だった。

久しぶりにお会いしたその日も「いまこんなギャグ考えてるんだけどサ・・・」といきなり来た。斎藤さんを見ているとやっぱりボクの持論は正しいんだとつくづく思う。それは『エラそうな人に、エライ人はいない』というもの。ホントにエライ人は偉そうにする必要もない。だってエライんだから。エラくない人がエライんだぞと見せようとするから偉そうになる。だから、『エラそうな人に、エライ人はいない』んだ。実るほどコウベを垂れる稲穂かな、なんだな。

東京の店ではなかなか見かけない『飛良泉』だけど、メニューに見つけると斎藤さんが懐かしくてうれしくなって必ず『飛良泉』を注文する。出張中の夜、秋田の肴をいただきながらいろんな日本酒をいただいたけど、やっぱり最初に飲んだ『飛良泉』が一番好きだった。どの日本酒もうまいんだけど、斎藤先輩がつくってると思うと、ついエコヒイキしてしまうのかもしれないけど。

黒い塀堂々とした黒い塀。ここから100歩くらいで日本海

公式

にかほ駅秋田駅から2両編成の各駅停車で約1時間 特急もあったけど約1時間

新しいシューズ

ホイール

新しいシューズ

2000年モデルのキャノンデール F900。当時インターネットのバイク好きが集まる掲示板で知り合った人から、新車同然の時期に購入したものだ。ホイールを替え、タイアを替え、ブレーキを替え、ディレーラーも替え、クランクも替え、サドルも替え、フレーム以外はほとんどのパーツを交換して可愛がってきたバイク。MTBの草レースに出たこともあった。2シーターの助手席に前輪を外して無理矢理載せて、日曜日の大井埠頭に走りに行っていた時期もあった。ずっと室内保管をしていたけど、今の家に引越して来てからはずっと外に置いていた。雨ざらしになっていたのそのバイクは、タイヤは前後輪ペシャンコで、あちこち錆が出始めていて、お気に入りだったマルコ・パンターニのサドルも埃まみれで悲しそうに見えた。「昔はあんなに遊んでくれたのに・・・」と言っているようだった。

幕張F900草レースを走っていた頃

あるロードバイク好きの友達がfacebookにマルコ・パンターニの写真をアップしていた。パンターニはジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスなどのローレースで活躍し、2004年に亡くなったイタリアの英雄だ。そのモデルのサドルを使っていたことを思い出したのだった。

パンターニ埃を落とした海賊

生き返らせようと思った。
もう一度手入れをして乗ってみよう。

まずタイヤの取り付け。久しぶりなのでできるかどうか心配だったが、できたっ! やっていくうちにだんだん思い出してきた。タイヤを替えただけで生き返ってきた!よし、これから錆びたペダルを替えよう。チェーンも新品にしたほうがいいだろう。ディスクブレーキのパッドも新品に交換しよう。バイクは、乗らなくてもいじっているだけでも楽しめる玩具です。ゼッタイ乗りますけどね。