1月の目次

1月1日 (火) 2013年1月1日 ■ ふと思ったこと
1月2日 (水) 一日の計は朝にあり ■ メモした言葉
1月3日 (木) 善福寺公園の「善」と「福」 ■ どうでもいい話
1月4日 (金) 新宿高島屋の奇跡 ■ どうでもいい話
1月5日 (土) 第14話 なぜ屋根の雪が溶けなかったのか ■ なぜ私は三井ホームで

1月6日 (日) ジョブズの言葉 ■ メモした言葉
1月7日 (月) ああ、自分がモッタイナイ ■ こんなコピーを書きました
1月8日 (火) 何によって憶えられたいか ■ メモした言葉
1月9日 (水) ものごとの「いい面だけ」を見る ■ ふと思ったこと
1月10日 (木) 楽しい仕事は、ラクじゃない。 ■ こんなコピーを書きました
1月11日 (金) サッカーカレンダー2013前半 ■ サッカーな話
1月12日 (土) ■

1月13日 (日) 近賀ゆかり先輩からの言葉 ■ メモした言葉
1月14日 (月) 忙しさも、男女平等だよ ■ こんなコピーを書きました
1月15日 (火) 今日うれしかったこと ■ ふと思ったこと
1月16日 (水) 小田実さんの言葉 ■ メモした言
1月17日 (木) 広告につられて、転職する私ではない。 ■ こんなコピーを書きました
1月18日 (金) エージシュート ■ どうでもいい話
1月19日 (土) ■

1月20日 (日) 自分のリーダーは自分です ■ メモした言葉
1月21日 (月) 13日の金曜日にもラッキーがある。 ■ こんなコピーを書きました
1月22日 (火) ■
1月23日 (水) ■
1月24日 (木) 母の勇気を、なんとかしたい。 ■ こんなコピーを書きました
1月25日 (金) ■
1月26日 (土) ■

1月27日 (日) ■
1月28日 (月) 母の馬力を、なんとかしたい。 ■ こんなコピーを書きました
1月29日 (火) いつか使えるイタリア語 ■ 外国語のお勉強
1月30日 (水) 中山雅史さんの言葉 ■ メモした言葉
1月31日 (木) 1月の目次 ■ 目次

中山雅史さんの言葉

中山雅史

テレビ東京でいつも観ている番組、FOOT×BRAINにて
ゲストは、(引退ではなく)一線を退いた、中山雅史さん。
いろんなトークの最後に、MCの勝村さんが

「中山さんが(日本のサッカー界に)置いていくものがあるとしたら、何ですか?」

と聞こうとしたときのこと。
勝村さんの「置いていくもの・・・」のセリフあたりで
中山さんは、かぶせるような勢いで

「ないです!」

とキッパリ答えた。

「それを置いて行くんじゃなくて、盗めよって」

と中山さんは言った。
いつもの中山節のようで、ご本人も照れながら言っていたし、
スタジオの中にも笑い声が上がったが、中山選手は本心だったと思う。

「オレはお前にあげませんよ、って。
 ボク自身で置いて行くものなんて、何があるんだろう?って思う。
 (置いて行くものがあるとしたら)
 それを見て感じ取って、盗もうって意識じゃないと、
 その人(後輩たち)の中に入っていかないんじゃないかと思うんですよ」

「上手いからそこで満足している部分があるとしたら、
  それは不幸なことじゃないかな、と」

「ボク自身ミスするたびに、こうすれば良かったって思うことが多かった。
 それがあるから、じゃあ次の目標、次の目標へと行けたし、
 もっと上に、もっと上にという活力になっていった。
 ヘタで幸せだったのかなって思う」

彼は、今後もしコーチになったとしても、もっと上手くなりたいし
学ぼう、盗もうという気持ちは続くだろうと言っていた。
「引退」とか「ベテラン」という単語は彼には関係ない。
「サッカーが好きだから上手くなりたい」
ただそれだけなんだろうな。
キング・カズもそうだけど、
彼らの強さはそこにあるんだろうな。

自分の職業に当てはめてみる。
ボクは自分でコピーが上手いなんて思っていない。
ただ、たまにすごくいいコピーを書くことがある、と思う。
「コピー上手いね」より「あのコピー、いいね」と言われたい。
上手くなりたい、ではなく、いいコピーを書く確率を上げたい
という意味で、上達したいと思っている。

「学ぶということは、自分が感動すること」
「教えるということは、自分の姿勢を見せること」
三代目市川猿之助さんの言葉をまた、思い出した。

最後に、

「これからの日本代表に必要なものはなんでしょうか?」

という問いに、中山選手は、しばらく考えて
ボクが答えて欲しかった答えが返って来た。

「中山です」

とひと言w。
やっぱり中山雅史はレジェンドだわ。

rogo

いつか使えるイタリア語

母の気合

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シ・ジ〜ラ、クワンドロ・デ・コ・イ〜ヨ

(私がカメラを廻せと言ってから、カメラを廻せ)
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シ・マ〜ンジョ、クワンドロ・デ・コ・イ〜ヨ

(私が食べなさいと言ってから、食べなさい)
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とらばーゆの「母の勇気を、なんとかしたい」シリーズの撮影でイタリアのローマ北部の村ストゥリに行ったとき。村のお母さんたちには僕らの片言の英語も伝わらない。ボクは筆談で「日本から来ました」と話しかけたりしていた。

洗濯場篇撮影の本番の時。演出家の「アクション!」という合図で演技を始める。大勢の素人のお母さんがいる現場で、日本人の監督が合図をだして、フランスのコーディネーターに伝え、その彼が現地イタリア人のコーディネーターに伝え、そしてそのイタリア人コーディネーターがお母さんたちに伝える。なんとも丁寧な、まどろっこしいやり方をしていた。案の定、お母さんたちは「誰の合図で動けばいいのよ」と騒ぎ出す。その段取りを再検討しているとき、イタリア人コーディネーターのジョゼッペが教えてくれたイタリア語。

「シ・ジ〜ラ、クワンドロ・デ・コ・イ〜ヨ」

これは、

「私がカメラを廻せと言ってから、カメラを廻せ」

という意味らしい。ボクはカメラに映らない場所でお母さんたちの近くにいた。メモ帳に書いた言葉を小声でお母さんたちに言ってみた。「シ・ジ〜ラ・クワンドロ・デ・コ・イ〜ヨ」拍手が沸いた。通じたんだ!現場の雰囲気はフィルムにも映るから、ボクのイタリア語が少しは場を和ませる役目を果たしたんじゃないかな。

撮影後、出演者たちとスタッフと村のレストランにランチに行った。そこでも大勢だから、オーダーなんか取ってる場合じゃない。みんな同じ物を食べる感じ。そのとき、ジョゼッペがまた教えてくれた。

「シ・マ〜ンジョ、クワンドロ・デ・コ・イ〜ヨ」

「私が食べなさいと言ってから、食べなさい」

という意味だ。バタバタしているレストランで、そのイタリア語もウケた。25年以上たった今も、このイタリア語だけはいまだに憶えている。使うケースはあまりないけど。

 

母の馬力を、なんとかしたい。

母の馬力CM

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母の馬力を、なんとかしたい。

ミセスの求人ページ、できました。とらばーゆ

1986年 とらばーゆ
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この仕事のプレゼンは、いつもの編集長だけでなく、リクルート本社の役員の方々にプレゼンすることになっていました。朝まで演出コンテを描いていた今村カントクはタクシーで新橋とらばーゆのビルに向かっていました。現地集合でロビーに集まったとき、「あ!」 なんと、今村カントクはタクシーの中に演出コンテを忘れてしまったのでした。役員をお待たせすることはできない…。会議室は一瞬まずい空気になりました。そこで今村カントクは覚悟を決めてホワイトボードの前に立ちました。「イタリアの田舎の田園風景を思い浮かべて下さい」といいながら、地平線を描き始めました。演出コンテをホワイトボードに描いて行くのです。1カットずつ丁寧にト書きをしゃべりながら描いて行く。演出コンテは頭の中に入っているから、完璧です。コピーした紙を配って見てもらうより、みんながホワイトボードに集中しているので、結果的にそのほうが何倍もわかりやすい演出コンテとなりました。

母の馬力2

「母の馬力を、なんとかしたい。」というコピーを考えていたとき。サン・アドへ通う大手町の地下鉄の階段で若いお母さんを見かけました。右腕に赤ちゃんを抱っこし、左手に紙袋をいくつも持って、階段を上って行く。母は強しだな、と思うと同時に、階段の下からその姿を見ながら「母の馬力をなんとかしたい。ミセスの求人ページ、できました。とらばーゆ」と頭の中でコピーをつぶやいてみました。よし、いける。このコピー、大丈夫だ、と思ったことを憶えています。(CMは「馬力を」なんとかしたい、とし、ポスターは連貼りだったので「馬力も」としました)

この頃の仕事は、不安と試行錯誤の連続でした。クリエーティブ・ディレクターとコピーライターというポジションを任されたことはプレッシャーでもありましたが、不安だったからこそ、いろんなことを記憶している。今思うと、悩んだことすべてが自分の血や肉になったのではないかと思います。

母の勇気を、なんとかしたい。

母の勇気

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母の勇気を、なんとかしたい。

ミセスの求人ページ、できました。とらばーゆ

1986年 とらばーゆ
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とらばーゆにミセスの求人ページができた、それを告知するキャンペーンでした。北イタリアのSUTRI(ストゥリ)という小さな村。その当時も使われていた村の公共の洗濯場。この場所をロケハンで見つけたこと自体が奇跡に近いことでした。演出の今村直樹ディレクターとプロデューサーだけの先発隊がポルトガルのナザレという町までロケハンに行ったりしてたと記憶しています。あの頃は、ロケハンにも十分時間をかけることができました。この仕事は、パリのコーディネーター、オデッサフィルムのおかげだと思います。現地のお母さんたちや娘さんたちをオーディションして出演していただきました。衣装はこのお母さんの家に行き、タンスの中を見せてもらい、これを着て来て下さいとお願いしました。だけど、お母さんたちは、ちょっとおしゃれな服を着て来ちゃう。毛玉のついたこのセーターがいいんです!と無理をお願いしたり。ロケが終わり、ストゥリの村を後にする時、ロケバスからこの洗濯場の建物を見上げたとき、もう一生に二度と来られない場所なんだろう、あのお母さんたちにはもう二度と会えないんだろうと思うと、泣きそうになったことを憶えています。

母の勇気洗濯CM

コピーについて。自分では、このコピーはいいと思っていました。でも、ほんとにそうなのか?確信が持てませんでした。テレビのナレーションの場合、ナレーターがMAVのスタジオのブースに入り、監督が「一度テストお願いします」と仮に読んでもらいます。その第一声で、そのコピーがいいかどうか、すぐわかります。読み方がどうとか、そういうことではなく、いいコピーなら、第一声を聞いて大丈夫だと思える。ところがダメなコピーだと、どんなに読み方を変えてもらってもダメ。このコピーのときは、家でひとりで読んでラジカセに録音して聞いてみました。自分の声を録音して聞くのは恥ずかしいんですが、スタジオで恥をかくよりマシだと思ったのです。自分のコピーをなんとか客観的に見てみる。それが大事だと思っていました。

この時のナレーターは宇崎竜童さんでした。テストでもらった第一声で、大丈夫だと思いました。というか、最高でした。今村直樹カントクのいいところは、音の設計が素晴らしいところです。コピーを理解してくれています。CMのナレーターの声は、グラフィックの書体と同じだと思うからです。

13日の金曜日にもラッキーがある。

13日の金曜日

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13日の金曜日にもラッキーがある。

1986年 とらばーゆ 大手・大手関連企業特集
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発売日が13日の金曜日でした。転職を考えているひとが縁起が悪いので買わない、ってことはないでしょうが、「13日の金曜日」という言葉と「ラッキー」という言葉が並ぶと面白いと思いました。ただそれだけです。でも、ほんとに言いたかったことはボディコピーに書きました。転職でしんどい思いをしている人に「縁起をかつぐなら、良い方だけを信じた方がいいよ」と応援したかったのです。キャッチで言うとわざとらしいから、ボディでさりげなく応援した方がいいかなと。

自分のリーダーは自分です

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自分のリーダーは自分です。

糸井重里さんの言葉
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なんで見たのか忘れましたが、とにかく手帳に書き留めた言葉です。(糸井さんのツイッターだったかな)糸井さんの言葉にはいつもハッとさせられます。この言葉は、ボクの中にもうひとりの「ボク」がいて、実はそいつがリーダーで、ボクがなにか弱気になったり怠けようとしたりしたときに、ビシッと叱ってくれる存在。それが自分のリーダーなんだと思います。

その昔、JWトンプソンの営業だった頃。コピーライターになりたくてなりたくて会社にアピールする作戦を実行していた。その作戦Bで「よし、すべてのコピーライター募集に応募しよう」と決めたとき、最初に見つけたのがサン・アドのコピーライター募集の広告だった。世間知らずの23才の若造のボクもサン・アドがどれほど名門かくらいは知っていた。とうてい無理だろうと思った。受けてもどうせだめだろう。第一「経験者に限る」と書いてあるし。と弱気になった。そのときもうひとりの「ボク」が現れた。いま思えば、それがボクのリーダーだった。『自分ですべてのコピーライター求人に応募するって決めたくせに最初の一件目でくじけてどーする!ダメで元々なんだから応募しろ!』とそのリーダーは言いました。ボクは素直にそのリーダーの言うことを聞き、履歴書と「サン・アドに入って私のやりたいこと」という作文を送ったのでした。

エージシュート

ゴルフをやる人なら知っている言葉、「エージシュート」。自分の年齢と同じスコアでラウンドすることをいいます。例えば72才のゴルファーが1ラウンドを72打でプレーすること。ボクみたいな100切ったり切れなかったりするゴルファーには夢のような話です。100ではラウンドできるけど100才でそれができるか?っちゅう話です。その前に100才まで生きれるのか?っちゅう話です。90なら出せるだろうけど90才でそれができるか?っちゅう話です。無理だろう… 。ボクの好きな日光カンツリークラブ(友だちがメンバーで)の食堂の壁に、そのエージシュートを達成したメンバーの名前が飾られています。よく見ると同じ人の名前が何回もでてくる。すごいなー。その人たちのゴルフの楽しみとボクなんかのゴルフの楽しみは次元が違うのかな、とひがんでみたり。ゴルフのエージシュートは一生無理なんだろうな、、、と思っていた、そのとき。

エージシュート・・・?   シュート・・・?   シュートならしてるぜ? もう14年もシュートしてるぜ? それは我がFCバッカーノのフットサルで、この年齢でもシュート決めてるぜ?と思ったのです。バッカーノの活動は今年で14年目に入ります。年間平均22回、神宮外苑でフットサルをやっている。ボクは毎年ほとんど皆勤賞的な参加率を誇っている。そのゲームで最低1ゴール、1日だいたい平均2、3ゴールは決めている。ということは、毎年自分の年齢くらいのゴールは決めているはず。それもエージシュートじゃね?と勝手に思いつきました。55才で年間55ゴール。毎回平均2、3ゴール決めていけば55ゴールは達成できる。そうだ!ボクはフットサル界のエージシュートを目指そう。60才になっても年間60ゴールだなんて、すごくね?よし、今日から数えよう。今日はFCバッカーノのフットサル、蹴り初めです。

背番号3

写真は3代目中村組の卒業生からもらった記念品のユニフォーム。3代目だから3番。今は10代目だから6、7年前の写真です。ここでフットサルやっとります。

広告につられて、転職する私ではない。

広告につられて

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広告につられて、転職する私ではない。

1986年 とらばーゆ 女性進出職特集
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当時の女性編集長が、「もう、中吊りを見て、女性たちがすぐ買いに走るようなコピーを書いてちょうだい!」と言ってきかないんです。ボクは電車の中の人がみんな転職を考えてるわけじゃねぇしなぁ、と思っていました。何案だしてもOKがもらえなかった(かな?)ので、「そ〜んなヤツ、おれへんやろ〜」というのから発想したコピーをわざと書いてみました。「広告につられて転職するヤツなんていない」と編集長に言いたかったのです。編集長にケンカ売ったつもりで書いたのですが、これが「いいわね〜」ということでOKになりました、わからんもんです。ケンカ腰で書いたコピーですが、ボクはこれ、アリだとは思っていました。転職を考えている人は必ず電車の中にいるはず。だから、とにかく目を留めさせること。広告で、「広告につられて」とあれば見てくれると思いました。そんな28才くらいの生意気なコピーライターでした。

小田実さんの言葉

小田実さん

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思想というのは
歩いて考えるのがいちばんいい

小田実
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昔、NHKの番組で見た小田実さんの言葉です。歩きながら考えている時が多いという。たしかにボクの場合も、コピーを考えながら歩いていて、思い至ることは多い。デスクで一点を見つめながら考えるより、歩きながらとか移動の車窓から景色を眺めながら考えるのがたしかに好きだ。

「思想というのは歩いて考えるのがいちばんいい」と小田実さんが言うなら、ボクは「コピーというのは歩いて考えるのがいちばんいい」と言おうか。いや、一番いいなんて言わなくていいや。いろいろやってみればいい。

と、そんなこと書こうと思っていたとき、こんな記事を見つけた。
海馬の研究で有名な東京大学准教授池谷裕二さん(@yuji_ikegaya)がこう書いていた。

池谷裕二さん

人は新しいものに出会ったり、興味を持ったりしたときに「シータ波」という脳波が出る。この時にモノを憶えると記憶力が高まる。特に初めての場所を歩くと、無意識にたくさんの情報に対処しようとするので、シータ波がたくさん出て脳にいい。脳には年齢による衰えはないが、集中力は歳とともに衰える。多くの人はそれを歳のせいにするが、それは違う。集中力は体力なのだ。歩くことは、体力もつくし、シータ波も出る。体力がつくと集中力も上がり、より脳にいい刺激を与えることができる。(池谷裕二)

やっぱりね。

というわけではないんですが、最近汐留の会社から帰宅する時、普通は新橋から地下鉄に乗るところを、数寄屋橋の銀座駅まで歩くようにしています。体重を落とすための1日1万歩を実現するためでもあるのですが、銀座駅から乗る方が座れるんですよ。

追伸:10月23日に書いた養老孟司さんの「脳にいい話」一日一回は人間の作った物以外のものを見る時間をつくるといい、という話と合わせると、コピーは自然の中を歩きながら考えるのが一番いい、ということになりますね。やってみよっと。 https://baccano21.wordpress.com/2012/10/23/