8月の目次

今月も「ぶ厚い手帳」読んでいただいてありがとうございました。
毎月末日は『目次の日』としております。
アーカイブ、カテゴリー、カレンダーのあるページへは、こちらから
https://baccano21.wordpress.com/

8月1日 (木) いい家でありつづけること② ■こんなコピーを書きました
8月2日 (金) 元祖仲畑組 ■ふと思ったこと
8月3日 (土) 第25話 なんでダイワハウスじゃないんだ?  ■なぜ私は三井ホームで

8月4日 (日) 英会話ノート⑯ leave ■外国語のお勉強
8月5日 (月) おいしいとこだけ一番搾り ■こんなコピーを書きました
8月6日 (火) 新しいシューズ ■どうでもいい話
8月7日 (水) ■
8月8日 (木) 夏は鰻に助けてもらう。 ■こんなコピーを書きました
8月9日 (金) ■
8月10日 (土) ■

8月11日 (日) ■
8月12日 (月) 明日はあしたの使い方。 ■ こんなコピーを書きました
8月13日 (火) 26代目『飛良泉』 ■ふと思ったこと
8月14日 (水) 見せたい場所がある ■ふと思ったこと
8月15日 (木) 刺身ねっとり、蕎麦ざっくり。 ■こんなコピーを書きました
8月16日 (金) 斎藤さんとケヤキの木 ■ふと思ったこと
8月17日 (土) 第26話 子どもが育っていくカンジ  ■ なぜ私は三井ホームで

8月18日 (日) ■
8月19日 (月) 明日はあしたの使い方2 ■ こんなコピーを書きました
8月20日 (火) ■
8月21日 (水) 園子温さん、初めまして。 ■メモした言葉
8月22日 (木) 国(内)電話(も)、KDD。 ■こんなコピーを書きました
8月23日 (金) 17歳の記憶  ■メモした言葉
8月24日 (土) ■

8月25日 (日) ■
8月26日 (月) 椎茸なめてはいけません。  ■こんなコピーを書きました
8月27日 (火) 夏野剛さんの言葉 ■ メモした言葉
8月28日 (水) キャノンデールをもう一度 ■ふと思ったこと
8月29日 (木) 紅葉が釣れた。  ■こんなコピーを書きました
8月30日 (金) 8月の暑い日に  ■メモした言葉
8月31日 (土) 8月の目次 ■目次

8月の暑い日に

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『記憶する人も死に絶えたとき、死者は真に死ぬ』

という言葉があると知った。

戦後68年。全国戦没者追悼式の参列者の名簿に、

3年続けて父母の名はなく、妻も16人で過去最少だった

と、終戦の日翌日の天声人語が伝えていた。

戦争で亡くなった身内を憶えている遺族が少なくなっている。

『記憶する人も死に絶えたとき、死者は真に死ぬ』

8月の暑い日に、日本人としてこれからずっと、

忘れてはいけないことがあるんだと思った、

2013年8月の暑い日。

紅葉が釣れた。

一番搾りカサゴ

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紅葉が釣れた。

1994年 おいしいとこだけ一番搾り
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自分の書いたコピーの記録として、このブログにまとめているのですが、ボディコピーを打ち直していると、「もっとこう書けばよかった」と反省するところがたくさん見つかる。94年頃というと36才くらいか・・・。もし今の自分が、このコピーを書いている36才のコピーライターのクリエーティブ・ディレクターだったとしたら何と言うだろう・・・。もしこの36才のコピーライターに仲畑さんも怖れたというサン・アドの「品田チェック」があったらどうだっただろう・・・。こんなんじゃダメだ、やり直し!だったんじゃないか。

キャッチはなんかうまいこと言ってるようだけど、もっとカサゴが食べたくなるような、ビール飲みたくなるような、なんか他になかったか? ボディコピーも、実際の和食屋に行って板前さんにカサゴ料理のことを取材したのか? 本で調べただけの、言葉を書き写しているだけじゃないのか? なんか言葉がウソクサイ。上滑りしている匂いがする。もっとホクホクしたあの白身のシズルを書けなかったか。煮汁の味付けの話なんかもあってよかったんじゃないか? ビールの広告だけど、「カサゴ、食いてぇ〜」と思わせるチカラがあるのか?

この中吊りは、コピー年鑑に掲載されたコピーです。いちおう「いいね!」とされたコピーです。でもそれは、1995年のコピー年鑑での話。もう一度、昔のコピーを読んでみて、「もっとこうすれば良かった」と反省してみることも、案外大事なのかも、と思ったのでした。

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これ、カサゴです。鬼笠子。
見るからに怖そうな体つきをしていますが、
白身のとてもうまい魚です。
深海に棲むものほど
鮮やかな橙がかった赤色をしています。
カサゴは種類が多く、年中市場に出回っていますが、
身が締まっておいしいのはこれからの季節。
煮つけにしても、から揚げにしても、
白身の歯ごたえは絶品です。世の中便利になって、
いろんな魚をいつでも味わえるのはうれしい。
でも、旬のサカナのこと、ちょっと知っているほうが、
おいしくいただけそうですね。
春夏秋冬、四季の日本の旬の味。
そのうまさを生かすビールの味は、
後口のさっぱりした
さらっと飲みやすい、そんなビールがいいようです。
深まる秋にしみじみうまい、海の紅葉と
一番搾り生ビールではあります。

おいしいとこだけ一番搾り

キャノンデールをもう一度

Y’Sロード

「2000年頃のキャノンデールは塗装がきれいなんですよね」オーバーホールを担当してくれたY’S(ワイズ)ロード新宿店のMさんは言った。キャノンデールの代名詞でもあった『HANDMADE IN USA』が、2010年頃からアジアで生産するようになり、その表示ができなくなったらしい。塗装の方式も変ったのかもしれない。

友人から新車同然で譲り受け、いろいろ手をかけて室内保管していたけど、今の家に引越して来てからずっと外に置いていた。しかもほとんど乗らなくなり、タイヤは前後輪ぺしゃんこ、サドルも埃まみれ、あちこち錆が出始めていた。あまりにも可哀想で、ほったらかしていた自分が恥ずかしくなり、もう一度手入れをしようと決意したのだった。

Y2KモデルのキャノンデールF900。チェーン交換、ブレーキワイヤー交換、シフトワイヤー交換、グリップ交換、サイクルコンピュータ取り付け。タイヤとペダルは自分で交換していたので、セット料金じゃなく安い方でやってくれた。ありがとうございます。

「すごくきれいに乗ってらっしゃるので、これからも大事に乗ってあげてくださいね」

クルマやオートバイを、下取りなんかに出そうとすると急にエンジンの吹け上がりが良くなったように感じることがある。「まだ全然走れるぜ。捨てないでくれよだぜ」と言ってるような気がするくらい調子が良くなったように感じることがある。それと同じように、自転車も「機械」なんだから「感情」なんて無いはずなんだけど、大事に扱えばそれに応えてくれるし、雑に扱えば機嫌が悪くなるような気がする。

オーバーホール

オイルを吹いてもらった新しいチェーン。新品のブレーキワイヤー。新品のミシュランタイヤ。やや緊張しながら漕ぎ出した。なんか初心者に戻ったような変なカンジ。夕方の交通量の多い新宿青梅街道は、ちょっと緊張した。久々に2輪で走る。やっぱ2輪の風は気持ちいいわ。

夏野剛さんの言葉

夏野剛@tnatsu

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「未来は過去の延長線上にはない」

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朝日新聞の日曜版。夏野剛さんの『逆説進化論』というコラムに目が止まった。
「方向感覚が問われる経営者」というサブタイトル。
タイトルに惹かれたというより、夏野さんの名前に惹かれて読んだ。

その中の文章を抜き書きしてみます。

「右肩上がりの時代なら過去を踏襲した戦略や業界横並びでもそれなりの結果は出た。しかし低成長の成熟社会、変化の激しいIT社会となると、その会社がどの方向へ向かうかで結果は大きく違ってくる」
「そんな時代、経営者こそ本音を語り、経営戦略を練るべき。本音を隠し、社内調整に長けた人材は社長に向かない時代だ」

「かつて日本には電気業界という業界があった」(←あえて過激な言い方をしているが、その通りかもしれない)

「大手電機はどこもテレビ、オーディオ、洗濯機、冷蔵庫、携帯電話・・・・と同じような商品をつくっていた。でも今は電気業界という垣根は崩れ、それぞれが比重を移したり、携帯電話から撤退したり。いち早く方向性を決めたかどうかが業績を左右する」
「リーダーが自分を語らないようでは会社の方向性は定まらない」
「サラリーマンにだって経営哲学を語り、実戦できる人はいる」

「未来は過去の延長線上にはない」(←そうだ。ほんとにそうだ)

「要は、経営者の選び方に尽きる。減点主義で勝ち残った人に会社は託せない」
「出でよ、本音を語り、リスクを取るサラリーマン!」

と結んでいる。

糸井重里さんの『自分のリーダーは、じぶんです』という言葉を思い出した。
自分という「会社」をどう経営していくか、どうありたいのか。
それを決めるのは自分なのだ、と思った。

 

椎茸なめてはいけません。

一番搾り椎茸

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椎茸なめてはいけません。

1994年 おいしいとこだけ一番搾り
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この一番搾り一連の、「おいしいものネタ」のコピーは、別に他のビールでも言えるじゃないか、と言う人もいるかもしれません。(「おいしいとこだけ一番搾り」は一番搾り製法のことなので、KIRINにしか言えませんが)椎茸も鰻も中トロ巻もわさびの話も他のビールの広告でも言えるじゃないか!と鼻息の荒い人がいるかもしれない。でもボクはそうは思いません。

他社の製品で言えることだろうと、一番先にそこに気付いて発信すれば、それがその商品の人格になると思うからです。ビールに限らずどんな商品でも、「他社の商品でも言えるじゃないか」という前に、他社と圧倒的に違う製品、ユーザーに価値ある「差」のある製品をつくるべきです。わが社の製品にしか言えないことを言ってくれ、というクライアントほど微差をいいたがる。ユーザーからしたら、それほど重要な「差」ではなかったりする。例えば「世界初!と大きく入れてくれ」とクライアントが言う。お客さんは「世界2位でもいいから、安いほうがうれしい」と思う。広告屋はそこに価値があると思えば、そこを最優先して言いますから任せてください。

ビールの広告は性能を競えばそれでいいとは思いません。飲んでみてどうも違うなと思ったら別の商品にスイッチできる「価格」の商品の場合、ファンをつくっていく、ファンと長い付き合いをすることが大事だとボクは思っています。一番搾りは数あるビール広告の中で「一番うまそうな広告」をめざそうとしました。他社が松茸でくるなら、一番搾りは椎茸でいく。他社がサンマでくるなら、あえてサンマにして、サンマのCMのなかで一番うまそうなサンマを目指す。そういうやり方でした。現在ボクは一番搾りの担当ではありませんが、ひとりの一番搾りファンとして再掲載しています。

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秋の味覚、というとつい高価な例のモノに
気をとられがちですが、
いやはや秋には、おいしいものが
たくさんあるのですね。
例えば秋の生椎茸。
ぷっくり肉厚の生椎茸を
七輪で焙る。レモン汁としょう油をちょっとたらして、
まず笠の部分をいただく。
(そこで冷たいビールをひとくち)
そして、残した石突きに
手で適当に裂け目を入れて、
もう一度さっと焙る。
これがまた、いいんです。
高級なものが高価なものばかりとは
かぎりません。
こんなところにも秋の贅沢がありました。
よく冷えた一番搾りをゴクンとやって
秋の味覚をかみしめます。
最初に搾った麦汁だけでつくった生ビール。
キリン一番搾りです。

おいしいとこだけ一番搾り

17歳の記憶

icon_sr福岡県内の高校再編成で閉校になった母校の正門

■7月にNIKKEI AD Webの『コーヒー&コピー』という欄に掲載された文章です。主にクライアントが読むというのでそれを意識して書きました。
■夏の高校野球を見ていて(ボクはサッカー部でしたが)、高校2年の頃を思い出し、こっちのブログにも載せておこうと思いました。
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『永久不滅メディア』

福岡県立門司高等学校2年6組の教室。現代国語、伊東先生の授業でした。
伊東先生は、まじめで堅い先生が多いウチの高校の中で、
どちらかというと、明るく軽く気ままな気質の先生でとても人気がありました。
ちょくちょく授業が脱線するから、みんなもそれを楽しみにしていました。
その脱線した話のひとつを、いまだに憶えています。

「ええか。よく人に、『誰々さんに似てますね』って言うやろ?
あれなぁ、あんまりうかつに、言わんほうがいいんやぞ」
と伊東先生は言うのです。
人は無意識のうちに自分に似た人を判別していて、
自分の嫌な部分が似ていると感じると無意識に嫌う場合があるというのです。
「似ている人」イコール「好きな人」だとは限らないというわけですね。
当時高校2年生だったボクはただただ「へー」と思ったのでした。

それ以来、誰かに似た人がいたら
「ねえ、○○さんていうタレント知ってる?」→「うん知ってるよ」→
「その人好き?」→「まあね」→「ちょっと似てるね」と、
ちょっとメンドクサイのですが、そういう段取りを踏むようになりました。
「ねえ、○○さんていうタレント知ってる?」って聞いて、
「うん、アイツいやなヤツだよねー」と言ってきた場合は
「だよねー」と言えばいいんです。
まあ、他愛のない話なのですが、何を言いたいかというと、
その話を「いまだに憶えている」という事実。
40年ちかく前の話をまだ鮮明に憶えている。
この「人の記憶」というメディアはすげーな、と思うわけなんです。

いままでの多くの広告は使い捨てでした。
新聞広告は翌日になったら古新聞。トイレットペーパーに換わります。
一生懸命悩んで書いたコピーも翌日には捨てられてしまう。
今日の朝刊の広告で憶えている広告はありますか。
昨日の新聞広告ではどうですか。最近の広告で憶えているコピーはありますか。
「人の記憶」というメディアに残れば、
その広告は何十年も生き続けることができる。
逆にいうと、「数字上その広告を見た人」が多くても、
その人の記憶に残らなければ、ほぼ使い捨てと同じこと。
媒体は小さくてもいいから、記憶に残るコピーを書きたいとボクは強く思います。

国(内)電話(も)、KDD。

98KDD

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国_電話_、KDD。
 内  も

1997年 KDD
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これはたしか、競合の仕事だったかと思います。鎌田一郎CDからの単発の新聞15dで、数年後のKDDI合併のことなんか想像もしてない頃の仕事でした。何チームかあったので「中村は好きにやっていいよ」と言われていたような。代官山東急アパートアネックスで個人事務所をやっていた北川雅彦さんにADをお願いして、二人で考えました。考えたというより、「こんなのどうかな」「あ、いいね」「じゃぁそうしよう」で決まって、その後はすぐ代官山に飲みに行ったように記憶しています(たぶん)

この当時は、国際電話といえばKDDしかなく、「001(ゼロゼロワンダフル)、国際電話はKDD」というフレーズは認知度ほぼ100%だったんじゃないでしょうか。国際電話はKDD、国内電話はNTT。それだけだった時代です。なにしろK(国際)D(電信)D(電話)という会社でしたから。一番早い伝え方は、みんなが知ってるコピー、ドカーン。それを赤字で落書きしたように修正しようと思いました。「国際電話は、KDD」というコピーは有名でいろんな場所に使われている。これからは、それを見たら、この「赤字」で訂正されているコピーも思い出してもらえるといいな、と思って企画しました。

すごくカンタンにつくっているようですが、この「赤字」の訂正(ボクの字なんですが)はいくつも書きました。文字もそうだけど、グジャグジャという線も何タイプも書いて、一番自然で勢いのある線を北川くんと選んだように記憶しています。

この仕事は単発の仕事でしたから、数年後にKDDI合併の仕事をすることになるとは想像もしてませんでした。のちにKDDIの仕事をしたとき、クライアントに「中村さんですよね?あの赤字で消したコピーの」と憶えていてくださった方がいらして、とてもうれしかったことを思い出します。加藤さん、お元気ですか(もういらっしゃらないらしいのですが)

園子温さん、初めまして。

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映画監督の園子温(その・しおん)という人の話を聞く場所に出かけた。まったく知らない人だった。名前も園子・温(そのこ・おん)なのか、何とお読みするのかさえも知らなかった。最初の自己紹介で本名だと聞いてなぜか安心した。なぜか勝手に正直な人なんだと思った。ペンネームなどで仕事をしていないことに安心したのかもしれない。だんだん彼の話に引込まれて行った。

(気になった言葉をメモしました。禎)

■やってないことは、やっとこう。
(園さんは子どもの頃からそうだったようだ。なんでも経験したことのないことをやってみよう、と思う人だったらしい。小学校になぜ服を着ていくんだろう?と思った園少年は、通学途中で服を脱いで学校に行ったらしい。当然怒られた。じゃあ上半身だけならどうか、下半身だけならどうか、試したそうだ。変ってる小学生。ある意味素朴な小学生。授業の始めと終わりに「起立・礼」をする意味がわからず、先生や親に聞いたが誰も答えてくれなかったそうだ。だから小学校ではずっと起立・礼をしなかったという。好きだわ、その姿勢。禎)

■冒険、実験がなければ、やっても意味が無い。
(園さんはいつも「経験」しようとしているようだ。冒険して実験して成功したこと、失敗したこと、すべて彼の血や肉になっているようだ。禎)

■できないことをやる。やっちゃいけないことをやる。いろんな分野で踏み外さないと、新しいものは生まれない。
(「常識」を疑う、ということだと思った。既成概念や慣習に縛られ過ぎてはダメだということだと思う。「ふつうは、そうしない」ことを、「なぜ?」と考えてみる、やってみることも必要だと。広告の作り方も同じだと思う。禎)

■慣れてはいけない。常に変っていたい。
(どんどん画風が変って行くピカソが好きだと言っていた。賞賛されたスタイルは捨ててどんどん次に行く。あの人の作風はこうだ、と言われたくないと言っていた。立ち止まったら死ぬ、ということだろう。禎)
(ボクが若い頃、師匠の仲畑さんが言っていた言葉を思い出した。仲畑さんは「一度賞を獲った仕事は、若いコピーライターに渡し、自分は違う仕事で賞を狙いに行くんだ」とよく言っていた。「いい仕事は抱え込みたがる。だけど、それじゃ若い人が育たないだろ?」と。どんどん自分が変ること、挑戦すること、冒険することで、成長して行くのかもしれない。逆に言うと、冒険しなければ、成長しないということか。禎)

■女優はイメージを大事にする。役者はイメージを壊していく。
(アクターという職業は、与えられた役を演ずるわけだから、自分のイメージなんていらないんだ、という園さん。全く同感だった。ある映画では悪役、この映画ではまた違った人、それを演じられる役者が好きだな。禎)

■幕の内弁当みたいな映画はダメだ。
(いろんな人にウケようとして、ダメになっている。例えば、最初はスパイシーな本格カレー屋をつくろうと思っていたのに、女性や子どもにも来てほしいという声を聞き、味付けが甘くなり、カレーだけじゃなく中華も食べたい人もいるだろうとラーメンもつくるようになり、結局なんでも食堂になり、なんの印象にも残らない店になる。広告も同じ。こういうことは制作者はとっくに知っている。誰でもわかりそうなことなんだけど、ごく一部のクライアントにわからない人がいまだにいるのが信じられない。禎)
(秋元康さんの言葉を思い出した。「心に残る幕の内弁当はない」あれも言いたい、これも言いたい、あれも入れてくれ、これも入れておこうという広告主に言うことにしている。それすら理解しない場合もあると思うけど。禎)

■日本映画は中身で勝負していない。日本の映画は有名な役者を使えばなんとかなると思っている。それでは、新人が育たない。新人のモチベーションが上がらない。ジョージ・クルーニーだってオーディションで応募してERの端役からブレイクしていった。そういうキャスティングをしたい。
(まったく同感だ。日本の映画やドラマをみるとき、この有名な人がもし知らない役者だったらどうだろう?と思って見てみる。その有名俳優だから見られる内容ならダメだということ。韓国の映画やドラマは中身が面白ければ見入ってしまう。有名な役者かどうかなんて関係なく、「いい役者かどうか」「いいストーリーかどうか」を見ているのだから。禎)

■子どもの絵は、大人に褒められようとし始めるとダメになる。
(この話は、以前TEDカンファレンスでも同じことを言っている人がいた。ピカソも同じことを言っていた。「こどもは皆、芸術家だ。そのままでいることが難しいのだ」。禎)
https://baccano21.wordpress.com/2013/05/28/

■人が好きなものは何だ?と考え過ぎて、自分がいいと思うものを忘れていた時期があった。そういう意味で、『非道に生きる』ということが必要になる。非道に生きると不利になる。しかし勇気を持って行くしかない。人がつくった舗装された安全な道を行くより、自分だけの獣道を歩け、といいたい。そこを歩く覚悟。自分が切り開いた道を通る人がいれば、道は踏みならされ広い道になる。
(「人の意見ばかり気にし過ぎて、自分がどうしたいのかを忘れていた」ということは、ボクにもあった。コピーを書いて人に選んでもらっていた頃。自分の意見がなかった。もっとも広告なんだから「非道」にはなれないが、その「気持ち」はあってもいいのかもしれない。禎)

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(大きなホールの前の方の席に空席が少なかった。その理由がわかった。園監督のフィルムを見ようと思った)

 

明日はあしたの使い方2

天井が高いスパシオCM

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明日はあしたの使い方。

1997年 TOYOTAスパシオ
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「天井が高い理由」篇

S:声:爆笑問題
N:スパシオはなぜ天井が高いのでしょう?
N+S:①ノビが自由にできるから。
    ②乗り降りが自由にできるから。
    ③髪型が自由にできるから。
N:答えはお近くのカローラ店へ
S:明日はあしたの使い方。
N:スパシオ? スパシオ!

この仕事は『佐藤雅彦さん』とやれたことがすべてでした。企画はみんなで出し合いながら進めて行きます。みんなが企画を出しながら、雅彦さんはそれを黙って聞いている。そしてそれらのいい所は活かして、自分で企画にまとめて行く。この「天井が高い理由」篇も、「三択問題」というアイデアにOKがでて、ただ3番目のオチが決まらず、みんなでいろいろ言い合って、雅彦さんが決定します。家に帰って一人で考えるというボクのスタイルとは違うので最初は戸惑いました。それに、企画ができないと夜明けになることもあった。それがイヤだったなぁ。

なかなか企画がまとまらないとき、こんなことがありました。「いまから30分で一人一案考えて持ち寄りましょう。では解散。」こういうやり方をしたこともありました。これは、ダラダラした空気を変える意味でも効果的でした。

こんなこともありました。なかなか企画が決まらず、夜中0時過ぎた頃。今日も何時になるんだろうと思っていた時、雅彦さんが「これから次があるので、また明日集りましょう」と言うのです。夜中の1時すぎに別件の作業があるというのでその日はそこで解散になった。その時間から次があるって笑っちゃいましたが、とりあえずその日は「あー助かった」でした。

こんなこともありました。編集MAVでのこと。とにかく「音」にはとても厳しい人でした。1秒の30分の1が1コマ。SEの出だしを1秒の何分の一か動かしたり、それを聞き較べたりして判断していく。ボクは「そんなのどっちでもいいから、早く帰りたいなぁ」と思っていましたが、聞き較べるとたしかに違う。1秒の何分の一にも手を抜かない姿勢には参りました。「ディテールに神は宿る」という言葉を思い出しました。(だからといって、なんでもかんでも細部にこだわってつくっていたら時間とコストがかかりすぎ。そのCMの肝は粘るべきだと思うけど。なんでもかんでも、ではないとは思いますが)

それともうひとつ。雅彦さんのプレゼンも面白かった。15秒のコンテを説明する時。一通り説明が終わったらストップウォッチを取り出して、頭からナレーションやSEを読み始める。で、「ハイ、ここまでで13.5秒。1.5秒のCIが入って15秒になります」とプレゼンするのです。15秒CMをつくる、という仕事への雅彦さんの「誠意」を感じました。

また何かのお仕事でご一緒できるといいですね、ド深夜作業にならないのであれば。