11月の目次

毎月月末は、目次の日。としてみます(実験中)
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11月01日(木)    誰に向けて書くか ■メモした言葉
11月02日(金)    カズがいなければ・・・ ■サッカーな話
11月03日(土)    第5話 怖い本(土地探しの旅 後編) ■なぜ私は三井ホームで

11月04日(日)    長友啓典さんの話 ■メモした言葉
11月05日(月)    モッテノホカ。 ■こんなコピーを書きました
11月06日(火)    フランス語の1週間 ■外国語のお勉強
11月07日(水)    フランス語の12ヶ月 ■外国語のお勉強
11月08日(木)    決勝T進出! ■サッカーな話
11月09日(金)    長友啓典さんの声 ■メモした言葉
11月10日(土)    第6話 勉強の日々 ■なぜ私は三井ホームで

11月11日(日)    武野武治さんの話 ■メモした言葉
11月12日(月)    わざと遅れた… ■こんなコピーを書きました
11月13日(火)    TCCのポッドキャスト ■メモした言葉
11月14日(水)    アウェイのオマーン戦 ■サッカーな話
11月15日(木)    855R ■どうでもいい話
11月16日(金)    facebookのいいところ ■ふと思ったこと
11月17日(土)    第7話 営業マンに負けるもんか ■なぜ私は三井ホームで

11月18日(日)    イタリア語の1週間 ■外国語のお勉強
11月19日(月)    ま、一服 ■こんなコピーを書きました
11月20日(火)    かくれんぼ ■どうでもいい話
11月21日(水)    「ええヤツ」だった「バカ野郎」 ■ふと思ったこと
11月22日(木)    手書きのハガキ ■メモした言葉
11月23日(金)    イタリア語の12ヶ月 ■外国語のお勉強
11月24日(土)    第8話 お見合い相手探し ■なぜ私は三井ホームで

11月25日(日)    イタリアでリストランテを探す ■外国語のお勉強
11月26日(月)    陽のあたるうち ■こんなコピーを書きました
11月27日(火)    ちょっとしたイタリア語 ■外国語のお勉強
11月28日(水)    ふたりの合言葉『551』 ■どうでもいい話
11月29日(木)    Tさん、ごめんなさい ■ふと思ったこと
11月30日(金)    11月の目次 ■今月の目次

Tさん、ごめんなさい

大事にとってあった新聞の切り抜きがある。
朝日新聞「声」の欄。千葉県の59歳男性の投稿。
「ずっと抱いてあげたかった」という題。
その書き出しが、ずっとボクの心に刺さっているのです。
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愛は、思うことではなく行動することである。愛の対象に向かって、話す、書く、体を動かすなどの行為を実践することである。このことは夫婦愛、親子愛、兄弟愛、友人愛、さらには広く人間愛にもあてはまる。

名古屋に住んでいた私の母は、1973年(昭和48年)10月始め、足の骨を折って入院した。神戸に勤務していた私は、その時、仕事が非常に忙しく、たまたま愛知県へ出張したついでに母を見舞った。八人兄弟姉妹の末っ子で、私が生まれた時、母は43歳だった。兄姉がうらやましがるほど可愛がってもらった。

病室に入ると、母はいきなり「抱いて」と言った。私は一瞬戸惑ったが、抱きしめた。母の上半身は思ったより重かった。五分ほどすると手が疲れたので母を下ろした。母は目をつむり何も言わなかった。

幼少時に母に抱いてもらった一万分の一の時間も、私は母を抱いていない。三十五歳だった私の体力は、仕事が終わったら新幹線に飛び乗り、名古屋に行って徹夜で看病し、早朝に神戸へ戻ることを楽に出来る余裕があった。私はそれもしなかった。見舞った数日後、母は逝った。私のつらい悔恨は、終生消えることはない。

1997年7月13日(日)朝日新聞「声」の欄より
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愛は、思うことではなく行動することである。という一行はそれ以来
自分にも言い聞かせているし、友人や後輩の結婚のときなどは
この言葉を贈ることにしている。

それなのに・・・・。そんな偉そうなこと言ってるくせに・・・。

なんでもう一度お見舞いに行かなかったんだ。お見舞いは逆に気を使わせるかもと、かわいいカードを探して買ったのになんでまだ書かずに出さずにいたんだ。自分がはまっているiPadの無料ゲームを知らせてあげようとしたメールもなぜまだ出していないんだ。なにもしてないじゃないか。思うだけで何も行動していないじゃないかバカ野郎。

お世話になった、という言葉では言い尽くせないほど、ボクを守ってかばってくれた人を亡くしてしまった。今頃悔やんでも遅いよバカ野郎。

ごめんなさい、Tさん。ほんとうにごめんなさい。

2012年11月29日
(この日を忘れないために書きました)

ふたりの合言葉『551』

昔一緒に仕事をしていた電通関西の山下行理さんから、『東京出張で汐留に来てます。渡したいものがあるので連絡ください』というメール。

まさか!もしかして!そうじゃないかと思ったモノを持って来てくれた!ボクの大好物、551のぶたまん。大阪出張のときは必ず新大阪の駅で買って帰った。京都までで一個、京都を過ぎてまた一個。家には冷凍用を8個くらい買っていた。

インターネットで世界中のモノが買える時代なんだけど、たぶん通販でも買えるんだろうけど、大阪に行った時にしか買えないもの、って大事だと思います。大 阪でしか買えないから、わざわざお土産で持って来てくれることが、とってもありがたい。不便なほうがうれしいことって、いっぱいあるんじゃないかな。山下さん、思い出してくれてありがとう。

しかし、なんで551って言うんだろう。

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調べてみました。昭和20年。創始者である羅邦強さんは、当時外国産の555(スリーファイブ)というタバコを吸っていました。漢字やカナ文字は中国や日本でしか通用しない。横文字は当時の日本人にはまだなじみがなかった。しかし数字なら覚えやすいし万国共通。また、その当時の本店の電話番号が64-551番だったこともあり、「味もサービスも『ここ』『いちばん』を目指そう!」という意味を込めて、551蓬莱の名前が生まれたそうです。なんか、よけいに好きになっちゃう話だなぁ。
http://www.551horai.co.jp/company/company2.html

ちょっとしたイタリア語

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Ho bisogno di un bicchiere
オ・ビゾーニョ・ディ・ウン・ビケーレ
(私はグラスがひとつ必要です)
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Ho bisogno di aiuto
オ・ビゾーニョ・ディ・アユート
(手助けが必要です)
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Ha bisogno di qualcosa?
オ・ビゾーニョ・ディ・クアルコーサ?
(あなたは何か必要ですか?)
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Eco a lei
エコ・ア・レイ
(どうぞ)
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これも、オ・ビゾーニョ・ディ・クアルコーサ?とイタリア語で聞いても、イタリア語で返されたら、おしまい。

陽のあたるうち

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陽のあたるうちが、ハナよ。

(1983 オリンパス)

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これは「写楽」という写真雑誌の企画で、一般公募された写真にコピーをつけて広告にするというものでした。夕方の逆光の一瞬を撮った写真。何秒か後だとこのおばちゃんたちは地図をしまってしまうかもしれない。シャッターチャンスは一瞬です、というボディコピーでした。初めて、仲畑・葛西の両親分のもとを離れて書いたコピー。それがコピー年鑑に載ったことがすごくうれしかったことを憶えています。

イタリアでリストランテを探す

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Conosce qualche buon ristorante qui vicino?

コノッシェ・クアルケ・ブォーン・リストランテ・クイ・ヴィチーノ?

(このへんにおいしいレストランありますか?)

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いま気づいたけど、イタリア語でコノッシェ・クアルケ・ブォーン・リストランテ・クイ・ヴィチーノ?と聞いても、イタリア語で答えられたらさっぱりわからないわ。

第8話 お見合い相手探し

なぜ私は三井ホームで家を建てたのか  vol.8(住宅展示場めぐり2)

■住友林業も見ました。
妻が実家に帰省しているとき、ご両親と見に行ったそうで、
気に入ったようなので東京でも見てみることにしたのです。
案の定、玄関を上がるや否や住所を書かされました。
私も妻も、なぜモデルハウスで住所を書くのが嫌いか、といいますと、
当時まだウチはまだ土地もなく、具体的にいつ建てるとか、
なにも決まっていない時期で、そのときに住所を書いて、
ピンポ〜ンと家に来られたら嫌だなあと思うからなのです。
何カ所も展示場を見て回りましたが、
一番「住所を書け」がうるさかった記憶があります。

■三鷹にある住宅展示場に
「ドリーム」と「リアル」という名前の2つの展示場があります。
「ドリーム」のほうは文字通り、夢のような各社のモデルハウスが集まっていて。
少し離れた別の場所にある「リアル」のほうは同じメーカーで
現実的なサイズの現実的なモデルハウスが集まっています。
そこで、住友林業だったと思うんですが、ドリームとリアルの差が大きく、
「リアル」のほうを見てその質感にガッカリした憶えがあります。
結局、同じメーカーでも使う材質のグレードによって
いろいろ(な価格が)あるんだな、と知りました。

■住友林業は幕張のフェアにも行きました。
土地も探してくれてサンプルの設計図を書いてくれるというのですが、
先に5万円払わないといけないというのです。
(契約するとその5万は手付金の一部になるようでした)
その手口があまり好きになれませんでした。

■その頃、住友林業をメインに見て回っていました。
今思うと結局、工法うんぬんではなく、
外観のテイストや室内の設計アイデアだけを見ていたのだと思います。
逆に言うと、まだ「外見」だけで恋愛対象を見ていたのかも知れません。
「美人だな」「好きなタイプの顔つきだな」「いい服のセンスだな」
だけしか見えていませんでした。

 

イタリア語の12ヶ月

 1月 GENNAIO 
 2月 FEBBRAIO 
 3月 MARZO 
 4月 APRILE 
 5月 MAGGIO 
 6月 GIUGNO 
 7月 LUGLIO
 8月 AGOSTO
 9月 SETTEMBRE
10月 OTTOBRE
11月 NOVEMBRE
12月 DICEMBRE

発音はわかりません。でもイタリア語はローマ字読みでいいんじゃないでしょうかね。7月は「ルーリオ」ですね。「クアトロ・ルーリオ」というイタリアンレストランがありました。7月4日という意味でしょうね。

手書きのハガキ

結婚式を挙げたときの牧師さんは、
毎年結婚記念日に手書きのハガキで
「何」婚式かを知らせてくださいます。

1年目、紙婚式。2年目、綿婚式。3年目、革婚式。
4年目、花実婚式。5年目、木婚式。6年目、鉄婚式。
1年ごとに「固い」ものになっていきます。
今年は7年目で銅婚式だそうです。
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2012年11月22日
結婚記念日(7年 銅婚式)おめでとうございます
夫婦は「聴きあう」ことが大切です
「聴く」は受け身ではありません(傾聴)
相手と同じ気持ちになります(同情)
相手の心を受け入れます(受容)
共に喜び共に泣きます(共感)
聴きあって幸せな家庭にしていってください
神様の豊かな祝福をお祈りいたします
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なるほどなぁ。

で、ふと思ったのは、
その牧師さんはボクより年上だということ。

ずっと続けていただきたい、手書きのハガキです。

「ええヤツ」だった「バカ野郎」

同じクリエーティブ局の若者から突然「12月1日付けで営業へ移動になりました」と挨拶された。ビックリした。直接は仕事をしたことがなかったけれど、局の宴会やフットサルやゴルフコンペの幹事をよくやってくれていた「いいヤツ」だった。

その彼に、facebook上に僕が勝手につくった作った電通のクリエーティブ中心でやっているグループ「アイベヤ2012」に参加しろよとメッセージを送った。局が変っても電通の脳ミソを混ぜようぜ、と。

そいつとは以前、デジタル・ビジネス局へのインターン制度で同じ時期にDB局に行っていたことがある。その時、ある事件があった。事件といってもボクが怒っただけの事件なんだけれど。

—(2011年12月14日 facebookに書いた文章)—————————-

 

僕はアタマにきた。クリエーティブ局から40名ほどの人員がデジタル・ビジネス局に半年ほど兼務として席を移し、それが今月で終了する。その「卒業式」という送別会をDB局の人たちが社員食堂で催してくれた。なのに、CR局の若い連中は会場の後ろの方に隠れるようにして、いる。スピーチをしてくれたDB局の人も「あれ?クリエーティブの人、来てる?」と。僕はガマンできなかった。後ろに行って、そのバカ野郎たちの背中をはたきに行った。もっと前に行け。僕らのために送別会をやってくれているのに、失礼だろ、と。まだ、へらへらしている。うるさいオッサンやなあ、てなもんかもしれない。僕らの送別のために多忙な業務のなか、企画して幹事をやってくれた仲間を思うと、前の方に集まるのが礼儀だろう。そんな当たり前のことを思い至る想像力もない人間に、コミュニケーションの仕事などできるわけがない、と思った。僕の直属の部下たちでもなく、僕はそのバカ野郎たちに無関心でいてもよかったのだが、どうにもガマンができなかった。せっかくの楽しい場なのに、怖い顔をしてしまった自分を責める。あの場合、笑ってへらへら見過ごすのがいいのか、怖い顔をしてでも引きずり出した方がよかったのか。正直わからない。(2011年12月14日 facebook)

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その「バカ野郎たち」のなかに、その彼もいた。
その彼からメッセージが返って来た。

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禎さん、メッセージ本当にありがとうございます。
日曜までかなり落ち込んでおりました↓
ただ、今はかなり前向きに捉えております!

禎さんとDB局でご一緒した時、
今でも忘れない出来事があります。
DBの方々に送別してもらう時、
CRの人間が主賓にも関わらず
後ろでヘラヘラしてた時の事です。
禎さんが怒って前に来いと言って下さった時、
人間として何か大事な部分を忘れていたなと、
その時本当に思いました。
CRに配属になり、何か勘違いしてたなと。
本当にあの時怒ってもらって、感謝しております!

アイベヤ、ぜひ参加させて下さい!
引き続き宜しくお願いします。!
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やっぱり、ええヤッチャ、だった。

(写真は「卒業」で検索したらこういうのがあったので貼りました)